パイナップルは王室の歓待にも使われていた!?

 

私たちが日常的に食べるフルーツの中で、パイナップルはとても存在感があると思いませんか?パイナップルの歴史には様々な逸話があり、その魅力と意味も時代と共に変わってきました。今回は、パイナップルの背後に隠れた興味深い歴史とトリビアについて、お話しします。

実は、スコットランドにはパイナップルをデザインした邸宅が存在します。18世紀には、裕福な貴族たちの間で、パイナップルを夕食のテーブルに添えることが大変流行していました。その理由は、パイナップルが極めて高価で、希少性があり、それを手に入れることがステータスを示すものだったからです。パイナップルは遂には王室での歓待でも出されるようになりました。

スコットランドのDunmore Pineapple

参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Dunmore_Pineapple

しかしなぜ、パイナップルはそんなに価値のあるものと見なされていたのでしょうか?実は、その歴史を少し遡ると、15世紀まで、西洋の人々はパイナップルの存在を全く知らなかったのです。

クリストファー・コロンブスが1493年にカリブ海で行った2回目の探検旅行で、彼と彼の乗組員は初めてパイナップルと出会いました。彼らはその味に感激し、ヨーロッパへ持ち帰ることを決意しました。

パイナップルがどれほど希少であったかは、当時の価格からも伺い知ることができます。アメリカでは、一つのパイナップルが今日のドルに換算すると、驚くべきことに、8000ドルもの価値があったとされています。

一方、航海時代の中で、パイナップルはドライフルーツとしても非常に重宝されました。航海の長期間、鮮度を保つことが難しい中、ドライフルーツは保存性に優れていたため、栄養源としても帆船や探検隊に積み込まれることが多かったのです。

さらに、19世紀に入ると、食品加工技術の進化と共に、パイナップルの缶詰が大変人気となりました。これにより、多くの人々が手軽にこの果物を楽しむことができるようになり、その価値観も少しずつ変わってきました。

パイナップルが歓待の象徴として使用されるようになったのも、コロンブスのカリブ海探検が影響しています。カリブの先住民たちは、訪問者を歓迎する際にパイナップルを玄関先に吊るす習慣がありました。この習慣がヨーロッパに伝わると、やがてアメリカの植民地でも受け入れられ、広く歓待の象徴として定着しました。

時代が進むと、温室での栽培技術が発展し、多くの人々がパイナップルを楽しめるようになりました。その結果、一度は「贅沢の象徴」としての地位を確立していたパイナップルも、徐々に「歓迎、良い気分、温かさ、祝祭感」を象徴するものへと変わっていきました。

次回、皆さんがパイナップルを食べるときは、その奥深い歴史を思い起こしてみるといいかもしれません。かつては王族や裕福な人々のための特別な果物だったのです。

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